2018年6月1日金曜日

同じ時間の違う意味

数年間学校から離れていた生徒が勇気を出して学校に行った日のことです。 人に会うことが出来なかった彼は約16ヶ月かけて学校へ行くことを承諾した。 約束の20:00より3分早く保護者の車は学校に到着した。と同時にこれから彼が入る入口から3名の先生達が談笑しながら出てきた。先生達が去るのを見て車から出てきた彼の横を先生が運転する一台の車が走り去る。なんとか先生達をやり過ごし、玄関から学校へ入った。 真っ暗な階段を足音を殺しながら上がり、初めて自分の教室に足を入れた。電気をつけるとやたらと眩しく、広く感じる教室は彼を優しく受け入れてくれた。教室の掲示物を一通り見て、ツルツルに掃除された床をまるでアイススケートでもするかのように無邪気に滑って遊び、最後は自分の席に着いた。肩幅に腕を広げ、机の端をしっかり握りしめた手は自分を少しだけ覚悟を決めたかのように見えた。窓の外から向かいの棟の一階にある職員室が見えた。そこには15名かそこらの先生達が残って仕事をしている姿が見えた。恐らく昨日も一昨日も同じ光景で、この日と同じ20:00だったことだろう。10分程教室を堪能し教室を出ると廊下には人の気配、下の玄関には、よく通る声の先生達の賑やかさが廊下に響いていた。 数人の先生達が帰るのをやり過ごしなんとか外に出ることができた。 もちろん、事前に担任の先生には、今後の学校復帰計画を作成し、管理職の先生を含め学校の先生へお願いする配慮点も伝えた。20:00から20:10(正確には19:57〜20:07)の10分間職員室にいていただくことはやはり不登校の生徒のわがままなのだろうか?20:00からと聞いていたから3分前は大丈夫だと思ったのだろうか?気を遣って向かい側の2階の教室の電気がついたことも気づかぬふりをしてくれていたのだろうか? それとも、担任の先生が他の先生方に伝えていなかったのだろうか? 「情報共有」の大切さ。それは、今やっていることの意味の共有と共感なのかもしれない。 いずれにしても先生達にとっての20時と彼の20時の意味は明らかにちがっていた。

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