2018年6月19日火曜日

変化

周りのオトナは気付くことが出来ない変化はこども達にとって大きな変化である。
宿題をしていないことには驚くほど敏感に気付くオトナ達も
昨日よりゲームする時間を短くしたことや、「いただきます」を言ったことに気づくことがないときもある。
だからと言って、アカラサマニ誉めてもらうことするわけでもなく、ただ今の自分よりも少しだけ成長したいと思っている。
1㎝だけ成長したチャマメの苗のを見て「大きくなってる!」と笑顔でいえる彼らは、自分も少しだけ成長していることに気づいているのだろうか。


2018年6月13日水曜日

同じ時間の同じ場所

気がつけば毎週夜間登校し始めた。今日はじめて担任のセンセイが教室で合流した。
これまで担任のセンセイに会えるまで16ヶ月。なんとかちゃれすくで会えるようになったものの、
センセイにとってはアウェイな感じだった。
自分のクラスの教室で自分が担任する生徒とようやく会えた。
次から次と話が止まらない。当の本人は、ツルツルの床でスリッパサッカーをやりはじめる。
教室でやることかどうかではなく、教室で無邪気に過ごす自分の生徒にとにかく話しかけたい。
「同じ時間の違う意味」が「同じ時間の同じ意味」になり、「同じ時間」を「同じ場所」で過ごせるようになった。
先生方本当にありがとうございました。

2018年6月7日木曜日

ちゃれすく野菜市

今年も新鮮野菜の栽培に頑張っています。
不定期開催ですが、基本的には木曜日の午前中に収穫して
午後は選別と袋詰め作業。
ポップを書いたり、看板書いたりして陳列準備。
植え付け、栽培、収穫、選別、販売準備
どんな野菜が好まれて、どんな商品が売れるのか。
購買意欲を高める陳列や、ポップの書き方。
勉強になります。
野菜市での売上は、こども達の活動や施設の整備に役立てさせて頂きます。



2018年6月6日水曜日

同じ時間の同じ意味

16ヶ月学校から離れていた生徒にとって、恐怖との戦いの時間が始まった。
学校というモンスターとのタタカイ第二弾。
20:00に今日も登校する。
19:40約束より少し早く学校に到着。予定通り来るであろう生徒を待つ。
玄関前を前回と違って足早に帰宅するセンセイ達の姿があった。
 19:45
玄関前で立ち話をするセンセイが登場。不安になる。
19:50心配になり少し早いが車から降りる。
こちらに気付き、慌てて帰宅。
19:57ははの車にのって到着。
忍者のように足早に登校。
一切先生方の気配を感じない。
気を使って、明日の総体準備をされていたことは、帰りに玄関前に積まれていた荷物で分かった。
滞在予定20分が今日は50分滞在。
ありがとうございました。
今日も、教室に自分の居場所を設置しました。
来週もまた、同じ時間に同じ意味を共有できそうです。
情報の共有の大切さ。先生方の暖かさ。
感謝してもしきれません。
自分を受け入れてもらえたと思えたとおもいます。
最高の笑顔でした。
ありがとうございました!
総体頑張ってください。健闘をお祈りします。

2018年6月4日月曜日

その時どきに必要なこと

不登校になってこども達はその時その時に気持ちや考えは変わるもの。
不登校じゃなくても、こどもじゃなくても、気持ちや考えは変わるもの。
変わるのは当然で、変わるから少しずつ成長する。
夜は「明日は学校へ行こう」と思うけど、朝になったら、「やっぱり無理」と思う。
周りのオトナそれに振りまわされて、疲れたように言うけど、もともと不登校なんだから、振り回されたように思ってもそれは、周りの都合。
だから、「学校へ行く」と言えばそのように、「休む」と言えばそのように。
今はそういうときなんです。全て計画通りだから大丈夫。
その時その時に必要なことをしていきましょう。


2018年6月1日金曜日

こどもnoチカラ

いろいろあっても、こどもはすごい!
めだかがたくさん卵を産んだから、丁寧に孵化の準備をしてくれました。
「どんなめだかに育つか楽しみ」って嬉しそう。

ワイルドのヒラタクワガタも
「寂しそうだから早くメスを捕まえよう!」
君はほんとにすごい!



同じ時間の違う意味

数年間学校から離れていた生徒が勇気を出して学校に行った日のことです。 人に会うことが出来なかった彼は約16ヶ月かけて学校へ行くことを承諾した。 約束の20:00より3分早く保護者の車は学校に到着した。と同時にこれから彼が入る入口から3名の先生達が談笑しながら出てきた。先生達が去るのを見て車から出てきた彼の横を先生が運転する一台の車が走り去る。なんとか先生達をやり過ごし、玄関から学校へ入った。 真っ暗な階段を足音を殺しながら上がり、初めて自分の教室に足を入れた。電気をつけるとやたらと眩しく、広く感じる教室は彼を優しく受け入れてくれた。教室の掲示物を一通り見て、ツルツルに掃除された床をまるでアイススケートでもするかのように無邪気に滑って遊び、最後は自分の席に着いた。肩幅に腕を広げ、机の端をしっかり握りしめた手は自分を少しだけ覚悟を決めたかのように見えた。窓の外から向かいの棟の一階にある職員室が見えた。そこには15名かそこらの先生達が残って仕事をしている姿が見えた。恐らく昨日も一昨日も同じ光景で、この日と同じ20:00だったことだろう。10分程教室を堪能し教室を出ると廊下には人の気配、下の玄関には、よく通る声の先生達の賑やかさが廊下に響いていた。 数人の先生達が帰るのをやり過ごしなんとか外に出ることができた。 もちろん、事前に担任の先生には、今後の学校復帰計画を作成し、管理職の先生を含め学校の先生へお願いする配慮点も伝えた。20:00から20:10(正確には19:57〜20:07)の10分間職員室にいていただくことはやはり不登校の生徒のわがままなのだろうか?20:00からと聞いていたから3分前は大丈夫だと思ったのだろうか?気を遣って向かい側の2階の教室の電気がついたことも気づかぬふりをしてくれていたのだろうか? それとも、担任の先生が他の先生方に伝えていなかったのだろうか? 「情報共有」の大切さ。それは、今やっていることの意味の共有と共感なのかもしれない。 いずれにしても先生達にとっての20時と彼の20時の意味は明らかにちがっていた。